ルーマニアのなまはげ
ありがとう、トニ・エルドマン
映画情報
- 原題:Toni Erdmann
- 制作年度:2016年
- 制作国・地域:ドイツ、オーストリア
- 上映時間:162分
- 監督:マーレン・アデ
- 出演:ペーター・ジモニシェック、ザンドラ、ヒュラー
だいたいこんな話(作品概要)
宅配業者に応対する時でさえ、ちょっとした悪ふざけを欠かさないヴィンフリートは、老犬と共にドイツで暮らしていた。
娘のイネスはルーマニア、ブカレストで経営コンサルタントの会社に勤めるバリバリのキャリアウーマンだ。そのため、帰郷しても仕事の電話が途切れず取りつく島もない。
祖母の家に顔を出す余裕もなく、翌日にはブカレストに戻るという。娘が心配なヴィンフリートは愛犬の死をきっかけに、彼女の誕生日に合わせてサプライズ訪問するのだが。
わたくし的見解
とても大まかに分類すると、ハートフルコメディに属する作品なのだと思う。コメディだけにカテゴライズできないせいか、前回ご紹介させて頂いた「おとなのけんか」と比べると、コメディ要素は弱い。
邦画に多く見られる、分かりやすく泣かせるタイプの映画がお好みの方にとっては、ハートフルの部分も弱いのではと懸念。
しかし、喜怒哀楽の発露をあまり細かく指示しない余白のあるものや、感じ方に自由度の高いものが好みの場合は、魅力ある作品と言えるだろう。
どのような作品なのか、今回はかなり意図的に情報を入れず劇場へ赴いた。雑誌や映画紹介サイトなどで使われている、画像に惹かれたのが鑑賞のきっかけで「変なの!(どんな映画か)さっぱり見当もつかない」という第一印象をキープしたまま作品を観てみたかったのだ。
体格の良いオッサンがおかっぱ頭(明らかにヅラ)で、手錠で繋がった若いお嬢さんに険しい表情を向けられている。実にキワモノっぽい画像なのに、父と娘がどうとかこうとか、と映画情報は紹介している。
このシチュエーションで、親子だなんて。つかみ、としてはインパクトのある一枚だ。
いざ劇場に赴けば、顔も何もなく長い黒い毛に包まれた大きなモノと女性が、しっかりとハグしているポスターに出迎えられ、世界中が涙し笑った、などと大袈裟に書かれたキャッチコピーにますます困惑する。
「こんな毛むくじゃらに、どうやって感動するのだろうか」と。映画が始まっても、着地点の見えない展開を、わたくしは十分楽しむことができた。
ドラマの部分は大変に丁寧で、「東京物語」のような、時間の進み方がまるで違ってしまった、大人の親子の姿を上手く描いている。
身内だからこその甘えや、親子なのにいつの頃からか踏み込めなくなってしまった独特の心の距離などは、子供が大人になってしまってからの親子関係として、とくに先進諸国では共通のものなのだろうと実感。
タイトルの「トニ・エルドマン」というのは、父親の世を忍ぶ仮の姿なのだけれど、この父親像がエキセントリックなようでいて、とてもリアルだった。冗談が好きで、冗談が過ぎるきらいがあり、娘に煙たがられる。
娘はキャリアウーマンで、いい大人なので明からさまに反発はしないし、なるたけ父にかまってやろうと努力はするものの、居心地の悪そうな様子は顕著。
客観的に見ても、父トニ・エルドマンの冗談は安定してスベっているところが、やるせなく、あるあるネタ的おやじの悲哀。
加えて娘の、仕事の忙しい女性にありがちなキリキリ舞いで張り詰めた感じも、とてもよく捉えられている。これも頑張っている女性にとっては万国共通のキツさなのだろうか。
作品観賞後に女性監督と知ったが、だからこそのリアリティーかも知れない。
ハートフルが弱いと称したのは、これ見よがしなハッピーエンドに落ち着かないからで、しかし個人的にはそのほうが信頼のおける作品だと好もしく思っている。
いちばんキツかったところを何とかすり抜けたあたりで終幕するので、劇的に気持ちが落ちるような、しんどさはない。その点は安心して観賞してもらえる作品だ。
ただ、ディズニーさながらのエバーアフター(そして皆、末長く幸せに暮らしましたとさ)は残念ながら用意されていない。人生とは一体何なんだ、みたいなことも結局うまく分からない。けれど、そんなに簡単に分かってたまるかとも思う。大人の映画であることは、確かである。