文脈が無視された悲劇
シカゴ7裁判
映画情報
- 原題:The Trial of the Chicago 7
- 公開年度:2020年
- 制作国・地域:アメリカ
- 上映時間:130分
- 監督:アーロン・ソーキン
- 出演:サシャ・バロン・コーエン、エディ・レッドメイン、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世、マーク・ライランス、ジョセフ・ゴードン=レビット
だいたいこんな話(作品概要)
1968年8月、ベトナム戦争は長期化と激化の一途をたどり、累計で50万人以上のアメリカの若者が戦地に送られていた。それに対する抗議活動をしていた三つの大きな団体がシカゴに集結。大統領選挙を控えた民主党大会が開かれるその場所で、大規模なデモ活動を行い、アメリカ国民全体に反戦を訴えるためだった。
デモには当時過激派とされていたブラックパンサー党も参加していたが、いずれの団体も平和的な抗議活動を望んでいた。しかしシカゴ警察と衝突し、多くの負傷者と逮捕者を出す事件に発展してしまう。
5か月後、大統領選は共和党のニクソンが勝利した。政権交代後に新しく任命された司法長官は、シカゴでのデモ活動は暴動を煽動した共謀罪にあたるとして、参加した団体の代表者7名を起訴した。
ところがその裁判は、公正中立であるはずの判事が担当検事以上に政府側に肩入れし続ける、きわめて理不尽な展開を見せる。果たして暴動を引き起こしたのは、シカゴ・セブンと呼ばれた被告人たちか、それともシカゴ警察だったのか。
「ソーシャル・ネットワーク」や「マネーボール」など、実録もの(厳密にはノンフィクションとは言い難いが、実在する人物などを描いたもの)の脚色に定評のある、アーロン・ソーキン監督作品。
わたくし的見解/大いなる力に、大いなる責任
本作の面白みは、昨年から今年にかけて実際に行われた大統領選や、それに敗北したトランプ氏の支持者による連邦議会議事堂の襲撃事件などと、図らずもリンクしているところにあります。
図らずも、としましたが図っているであろう部分もしっかりあり、劇中に黒人解放運動の過激派ブラックパンサー党のボビー・シールを取り上げたのは、明らかにブラック・ライヴズ・マター運動を意識しているはずです。
昨年、取り沙汰された警官による黒人への不当な暴力に衝撃を受けた人は多いでしょう。本作の舞台である1968年は、彼らへの弾圧が現代より一層強かった時代であるとの認識はあっても、裁判という公の場で行われたボビー・シールへの扱いは信じ難いものでした。
また、映画で取り上げられている「シカゴ・セブン」と呼ばれた被告人の中に、ボビー・シールが含まれていない(公判途中で被告から外されたためですが)こと、つまり当時は決してシカゴ・エイトとして扱われなかったことにも、人種差別問題の根の深さが現れていました。
ところでシカゴ・セブンの裁判の発端は、ニクソンに指名された新しい司法長官による見せしめでした。司法長官ジョン・ミッチェルは、政権交代に伴い前任者は自ら辞任する慣習が守られなかったことを根に持ち、前司法長官が下していた「シカゴ・セブンは起訴に値しない」との判断を覆したことで物語は始まります。
もちろん、司法長官としては前政権に対する個人的な苛立ち以外に、反戦活動に熱を帯びる若者たちに脅威を感じており、政治的な判断として政府の力を誇示する目的もありました。
他にも昨今の出来事との類似点を感じる部分があるとは言え、映画ではかなりの脚色が加わっているでしょうし、2021年の議事堂での暴動についても、まだ真偽の定かではないことが多いのです。
しかし、それでも間違いなく言えることは、世の中には発言に多大な影響力を持っている人がいて、また目的や主義主張が何であれ、一度動き出した集団をコントロールすることは極めて困難であるということです。
まったく関連はありませんが、『スパイダーマン』の中で、主人公のピーターが保護者であるベン叔父さんから受け取った箴言「大いなる力には大いなる責任が伴う」を、ふと思い起こしました。
何か一つのきっかけだけで、歴史や国家レベルにおける物事が大きく変わる局面があります。そして、そのきっかけを作れるだけの発言力を持つ人もいる。力を持つことのリスクを強く感じられる作品でした。
絵に描いたような社会派作品ですが、(ボビー・シールの境遇とは真逆の)中流以上の家庭で何不自由なく育った白人のお坊ちゃんキャラを見せつけるトム・ヘイデンと、その彼とは対照的に、ヒッピー全開でどれほどシリアスな場面でも軽口を叩くことを忘れないアビー・ホフマンとがぶつかり合う演出も効いていて、エンターテインメントとしても楽しめる法廷劇に仕上がっています。アカデミー賞などの賞レースから、まさに好まれそうな作品です。