映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

山椒は小粒でぴりりと辛い

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おとなのけんか

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

子供同士の喧嘩といえ、前歯を折る怪我にまで発展したことについて、当事者の少年二人の両親が集まり、建設的かつ平和的な解決を目指して話し合うつもりだったのだが。原作は、ヤスミナ・レザによる戯曲「大人はかく戦えり」。ワンシチュエーションの会話劇でありコメディ。

わたくし的見解

いくつかの性犯罪疑惑(というか、ほぼ事実)を抱える波乱万丈人生の監督、ロマン・ポランスキーの諸事情により、映画の舞台は現代のアメリカ、ニューヨークなのに、撮影はすべてフランスで行われている。

子供たちが遊んでいる冒頭とエンディングシーン以外は、終始、怪我をした少年の家の中で物語は展開するので、どこで撮影しても同じと言えば同じなのだけれど。

一応、子供たちが遊ぶ場所には背景にブルックリン橋が見え、冷蔵庫の中身はアメリカの食品(牛乳やら何やら)で埋めつくされている。

というような、ささやかなトリビアはどうでもよくなる位、秀逸な会話劇であり、オスカー受賞者の中でも特に生真面目なイメージの女優を集めておきながら、見事にコメディとして確立している。

何しろ、オープニング・クレジットの後に一発目に拝めるのは、娼婦を演じようが何しようが永遠の優等生、ジョディ・フォスターのお顔だったので、私はコメディが始まったとは露知らなかった。

これがキャスティングの妙であると後に分かるとは言え、ジョン・C・ライリークリストフ・ヴァルツにコメディの要素を感じとることは出来ても、ジョディに加えケイト・ウィンスレットみたいな米英二大シリアス女優が登場して、果たして笑いの匂いを嗅ぎとる者がいようか。否、いないはず。

前歯が折れる怪我をした少年の両親が、ジョン・C・ライリージョディ・フォスター。夫は日用品おもに金物を扱っている店の店主、そしてアフリカ事情に詳しく物書きでもある書店員の妻。

棒で殴って怪我をさせた少年の両親が、クリストフ・ヴァルツケイト・ウィンスレット。大手製薬会社を顧客にもつ弁護士の夫と、投資ブローカーの妻。

という組み合わせだ。会話の中で、おそらくあえて触れないようにしているが、二組の夫婦は生活水準に大きく差がある。当然、価値観も違う。

前歯が二本折れるような、そこそこヒドい怪我をしてはいるが、どちらも穏便に話を終えようと努めるも、はなからギクシャク感が否めない。

四人のうち最も穏健派であるジョン・C・ライリーは、実現はしなかったものの舞台のキャストとしても何度かオファーを受けたそうで、庶民的で、話し合いの雲行きが怪しくなってくると「まあまあ」と丸く収めようとする夫役が、実にはまっている。

対して、この庶民側夫婦の妻がジョディ・フォスターであることに違和感を覚えていた。しかし、すでに触れたとおり、このキャスティングこそが計算尽くなのだと分かる。

所詮、子どもの喧嘩と軽くとらえている男親に比べ、子供が怪我をさせられたことに過剰に反応する神経質な母親では、少々役の方が不足している。

演技そのものは、さすがと言ったところなのだが、ジョディ・フォスターにやらせるならもう一捻り欲しいと思っていたら、きちんと役の方が彼女のビッグネームに追いついてくれるのだ。

話が進んでくる(喧嘩がエスカレートする)につれ、彼女のアフリカ事情に詳しい設定が効いてくる。

自らの住む場所から遠く離れたアフリカで絶えない悲劇について、心を痛めること自体には全く問題はなく尊敬すべきことなのだけれど、どこか自分ばかりが聖人気取りで、賢しい女の鼻につく様が、なるほど、ここはジョディ・フォスターのポジションだと感心させられた。

おとなのけんかは、被害者側の夫婦と加害者側の夫婦という対立から始まるも、先に少し触れたように事態をさほど深刻にとらえていない父親たちと、そうではない母親たちの対立という図式や、あるいは三つ巴、さらにはそれぞれの夫婦喧嘩へと巧みに形を変えることで、退屈させない展開。

私はあらゆる芝居のなかで、コメディは最も難しい部類に入ると考えているが、この作品の名優たちは文句なしの演技を見せている。

ポランスキー監督のセンスによるものかも知れないが、特に会話の「間」が完璧であるし、その巧みな演技力で産み出された「緊張と緩和」が的確に笑いを誘う。素晴らしい会話劇の小品と言えるだろう。