不屈の欠陥ヒーロー
アイヒマンを追え!
映画情報
- 原題:Der Staat Gegen Fritz Bauer
- 制作年度:2015年
- 制作国・地域:ドイツ
- 上映時間:105分
- 監督:ラース・クラウメ
- 出演:ブルクハルト・クラウス、ロナルト・ツェアフェル
だいたいこんな話(作品概要)
1950年代、ドイツ。終戦から10年以上が過ぎ、国全体が戦後復興に傾くなか、ユダヤ人である検事長のフリッツ・バウアーは、ナチスによる暗黒の歴史を風化させまいと戦犯の告発に奮闘していた。
しかし、思うように成果が挙げられず苦しむ中、ユダヤ人の強制収容所への移送責任者であったアドルフ・アイヒマンが、アルゼンチンに潜伏しているとの情報を得る。
未だドイツ国内の上層部で要職に就く、かつてのナチス党員の妨害や脅迫が続く状況で、果たしてバウアーはアイヒマンを捕らえることが出来るのか。
わたくし的見解
つい数年前、ヒトラーを冠する作品が立て続けに公開される時期があった。ちょっと流行っているのか、とさえ思った。そして、昨年は「アイヒマン・ショー」という、アイヒマンの裁判をTV放映しようとする人々を描いたイギリス映画が公開され、今年は今回紹介しているドイツ映画とは別に、アイヒマン関連のハリウッド作品も公開される。
映画「JFK」のラストのように、今まで政府(とか)によって伏せられてきた、ヒトラーやアイヒマンに関する事実が公開されたりしたのだろうか。はたまた、一度はグローバルを目指していた国々がばらけ、排他的でキナ臭いムードを無視できない世界情勢の中、ナチスの行ったことに何となく再び注目が集まっているのか。
などと、ついつい変な勘ぐりをしてしまう。実際は、特にヒトラーに関して言えば毎年ひとつは必ず関連作品が公開されているのであり、キナ臭いムードとのこじつけは、連日トランプ大統領の言動に翻弄されている報道を目にしているせいに他ならない。
本来、私という人間は、現在の世界情勢やホロコーストの歴史的事実についてなどは、目を背けてはいけないという認識だけ持っておいて、出来うる限り横目で見たり、見て見ぬ振りしたりしたいタイプなのだ。
じゃあ何で、正月ムードが抜けてきたとは言え、年始早々に堅苦しそうな映画を紹介するのかと言えば、シンプルに面白かったから。お正月的オメデタさはないけれど、大人向けのエンタメ作品として十分に楽しめた。
この作品でアイヒマンについては、ほとんど描かれていない。お陰で、しんどい思いをせずに鑑賞できる。と同時に、アイヒマンについての知識がまったくないと、さすがに面白くないのでサクッと検索しておくなり、前述した「アイヒマン・ショー」や、もう少し以前に公開されている作品「アンナ・ハーレント」を観るなどの下準備が必要かも知れない。
個人的には(大した本数は知らないながらも)ドイツ映画は雰囲気で誤魔化さない、質実剛健で潔い作風と捉えている。ファッショナブルでもアーティスティックでもないけれど、奇をてらわない良さがある。おしゃれ感は乏しいものの、しかし洗練されていて、面倒臭い展開もまずない。案外テンポもいいので、真面目でつまらないタイプではなく、真面目ながらも面白い。
本作もそれに当てはまり、史実を知っていれば結果は見えていても、その経過をサスペンスとして存分に味わわせてくれた。
主人公のバウアーの描き方が絶妙。不屈の精神で使命を果たそうとする人だが、かつての亡命先で逮捕歴があるなど欠点も示しつつ、地に足が着いた現実味のあるキャラクターとして確立していた。バウアーの他の登場人物も、だいたいオッサンなので絵面に華はない。ただ、味はある。
今ではナチスと言えば凶悪の極みとして、強い拒絶反応が示されるのに、バウアーによるアウシュビッツ裁判が行われる以前のドイツ国内は、大戦中の悲劇をおそらく無意識的に見て見ぬ振りして、やり過ごしていた。そのことが、よその国の違う時代のことと思えないリアリテイティーがあり、静かな衝撃を覚えた。戦後復興が優先されることは決して間違いとは言えない。
だからこそバウアーは言ったのかも知れない。「事実と対峙することが、どんなに大事でも、君たちの親世代には無理だろう。しかし君たち若者は、それが出来るのだ」この言葉は、彼がただの理想主義者でも、ユダヤ人として復讐の鬼と化しているのでもない、深い愛国心の持ち主であることを示していたのだと、しばらくして気づいた。
原題には、アイヒマンの名前はなく「国家(英題では、人々)対フリッツ・バウアー」であることに至極納得できる。あらゆる試練を乗り越えアイヒマンを追った、フリッツ・バウアーの闘いの物語だった。