映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

実にへんてこりんな映画

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美しい星

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

予報が当たらないことで知られる、お天気キャスターの大杉は愛人を車で送っていく途中、突如大きな強い光に包まれ気を失い、自らが火星人であると悟る。

すでに互いへの関心も弱まっていた彼の家族も、次々と金星人、水星人として覚醒。妻だけが一人地球人として家族旅行を夢見て、ネットワークビジネスにのめり込んでいく。三島由紀夫が1962年に発表したSF小説の設定を、現代に置き換え映画化した意欲作。

わたくし的見解

吉田大八監督は、ここ近年の作品で興行的に成功を収めていると言ってよいと思う。直近から遡ると宮沢りえさん主演の「紙の月」、口コミから上映期間をじわじわ伸ばし最終的に国内の映画賞をいくつも受賞した「桐島、部活やめるってよ」。

やはり、ある程度スマッシュヒットを飛ばしたからこそ、大手を振って今回のような壮大な茶番劇を作ることが叶ったのだと信じてやまない。

大変に出来の良い、そして上質な悪ふざけ(ただし大真面目でもある)であるから、さすがに今回は興行的には厳しいのではというのが私見である。

吉田大八作品に対する印象は、(あるある〜早く言いたい〜)イタい人が取り上げられがちであること。悪意のある表現での「イタい人」だが、作品自体にはあまり悪意がない。

かと言ってイタい人を、あたたかい眼差しで見てもいないし、どちらかと言えばフラットに眺めて批判もせず、でも人間てこんなんですよねぇ結構。みたいな体温の低さがある。

「ゆれる」などの西川美和監督が一貫して嘘つきを描いているのに対し、吉田大八監督は自分あるいは他者が作り上げた、嘘の世界で生きる人にスポットを当てている。

両監督が、比較的近いところに人間らしさ、人間臭さを見出していると感じているが、しかし似て非なるもの。嘘を発信する人が好きな西川監督、嘘に飲み込まれて嘘(虚)の中で生きている人が好きな吉田監督、と個人的に分類している。

どちらの場合も、さほど他人事ではないと言うか、案外誰にでも当てはまることのように思う。嘘をつく人と、虚の世界で生きる人。

さて、興行的には当たらないと踏んでいる本作のポイントは、今となっては口に出しただけで何故か胡散臭さが漂ってしまう「UFO」。

劇中で、はっきり「UFOを見たから」とのセリフはないものの、主人公家族が宇宙人と自覚したきっかけは確実にこれなのである。この名実ともにふわふわしたUFOを、どのように扱えばよいのか思案することが鑑賞者には課せられる。

未確認飛行物体という名称よりも、より明確に宇宙人(地球以外の星の生物)が乗っているものと捉えて頂きたい。

ロマンとしてUFOが好きな人以外は、完全否定する人と、より科学的に未知数の部分を鑑みて広い宇宙中探せばいるかも知れないけど、円盤型して地球人に見えるところをプカプカ飛んだりしないんじゃないのかと考える人に、大きく分かれるのではないだろうか。

そして、この映画においては、本当にUFOが来て主人公たちは、その肉体ではなく精神が宇宙人(地球人ではない)なのだと考えるべきか、あるいは地球人が結局そのように思い込んでしまっているだけなのか、という非常に危うい綱渡りが周到に展開される。

そのため作品の軸は、お天気キャスターの自称火星人が訴える環境破壊に歯止めが効かない美しい星、地球の存亡ではなく、自称宇宙人どもが果たして宇宙人なのか否かであり、どちらに転んでも見事なトラジコメディ(悲喜劇)として仕上がっている。

原作者の三島由紀夫の中では、宇宙人なのか否かは明確に念頭において創作したようだが、時代設定も現在から数年後に置き換えた本作では、さてどうだろう。わたくしは非常に上手く出来ていると感心した。

それでも、やはり(しつこいようだが)興行的にはムツカシイと思う。

だからもし、この作品を観ても何じゃコラと怒らないで欲しい。怒りそうなら観ないで欲しい。観たならイタイタしい人々を不謹慎と思わず笑ってあげて欲しい。笑い飛ばすことは、必ずしも上から目線である事にはならないのだから。