映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

たぶらかされたのは、男なのか女なのか

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The Beguiled /ビガイルド 欲望のめざめ

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

舞台は南北戦争末期の1864年バージニア州。静かな森の中に、女子寄宿学校があった。学園長と教師、事情があって実家に戻れない生徒が数名、戦火を免れひっそりと暮らしている。

ある時、女生徒の一人がキノコを採りに出かけ、森の中で負傷兵と遭遇する。敵兵と分かり動揺しながらも、献身的に怪我の手当てをする学園の女性たち。

負傷兵は無事快方に向かうが、女性ばかりの学園にたった一人の男性が暮らしを共にするというだけで、学園内の秩序が狂いはじめる。

原作はトーマス・カリナンの小説「The Beguiled」、クリント・イーストウッド主演で1971年に「白い肌の異常な夜」として映像化もされている。

わたくし的見解

ソフィア・コッポラ作品の魅力は、良くも悪くも軽やかであることだと思う。

女性が魅力的である時に魅力的に写し、まるで後光が射して、ありがたみを感じるほど美しい映像。情念とか怨念とか、とにかく血文字の似合うような「念」は写さず、観ている側に強く深く突き刺さるような何かを残さない。

まさにマカロンみたいなものなのだ。キレイな色で丸っこくて可愛くて、たしかに美味しいけれど、もっと美味しいものを幾らでも挙げられそうな程度の美味しさ。少しディスっているみたいになってきたけど、決して違う。

初めの1、2作品だけならともかく、ソフィアは何だかんだで、この手の映画では唯一無二の存在になった。「どうせ父親の」などと言うは容易いが、兄のロマン・コッポラの映画は恐ろしいほど評価が低く、今では撮ってさえいない。すっかりプロデューサーとして偉そうに名前を連ねているだけだ。

ところで、蜷川実花が日本のソフィア・コッポラなどと謳われることがある。「日本の」という時点で格下扱いなのだから、目くじらを立てるようなことではないのだけれど、あんなものとソフィア・コッポラを比べてはいけない。

「女性による女性のための」っぽい作風と、親の実績と馬面気味であること以外に、大した共通点はないのだ。それだけあれば十分な気もするけど、映画をナメてる蜷川実花と、お嬢様なりに案外、映画に真摯に向き合っているソフィア・コッポラとを、同じ土俵にあげないで欲しいと個人的に思う。

さて本作については、やはり良くも悪くも軽やかで、テレビCMされているような昼ドラ的劣情や情念渦巻くドロドロの展開は、実はほとんどない。きっと思いのほか上品な作りに、がっかりした人もいただろう。

一人の男性を取り合う美しい女性たちは、相変わらずの映像美でフワフワしたまま結末へ向かう。

察しと思いやりの文化を持つ日本人ならまだしも、はっきり物言うことこそ美徳とするアメリカ人が、忖度しまくりの結論にたどり着く終盤は個人的に気に入っている。連体感が強くコミュニケーション能力が高い、女性だけの世界だからこそ成立する展開だろう。

今回、今までになく面白く思えたのは、ソフィアによるフワフワフィルターを外したら、きっと彼女たちの感情は(本当は)こんな感じなんだろうな、というところまで透けて見えたところだ。

あえて現実味を薄くしてきたフワフワフィルターは、一周回って、目の前の人の感情を測りきれない実生活の感覚に近くもある。軽やかさが、人間の真意に巧みにフィルターをかけ「で、結局のところ騙されたのはどっちなんだ」という心理サスペンスを生み出した点を評価したい。

タイトルの "beguiled"「騙される、たぶらかされる、紛らわせる」いずれの意味にせよ、たぶらかされたのは果たして唯一の男性なのか、それとも美しき女性たちなのか。

それにしても、71年当時のクリント・イーストウッドがワイルドでセクシーで、女性たちが彼を取り合うのは想像容易いが、なぜ本作ではその役がコリン・ファレルなのか。あの眉毛が、欧米ではワイルド&セクシーの象徴なのか。

そしてキルスティン・ダンストは、どうしていつも(あらゆる作品で)超イイ女扱いなのか。とくに本作においては、御歳50を迎えても明らかに造形として美しいニコール・キッドマンや、若くてピチピチのエル・ファニングがいるにもかかわらず、キルスティン・ダンストが一番の美女ポジションなのが解せない。

ソフィア・コッポラの映像美をもってしても、欧米人と日本人の感覚の違いは埋めることが出来ない。何だか話がおかしな方向に逸れてしまったけれど、格別思い入れがある訳ではないにも関わらず、彼女の作品が安定して評価されてきたことに、本作ではかなり納得できた。

流行りものだったマカロンが、今では定番化したような。フワフワのくせに安定している、それがソフィア・コッポラの映画なのである。決してナメてかかってはいけない。