笑えない喜劇
ジョーカー
映画情報
- 原題:Joker
- 公開年度:2019年
- 制作国・地域:アメリカ
- 上映時間:122分
- 監督:トッド・フィリップス
- 出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ
だいたいこんな話(作品概要)
「バットマン」に登場する、スーパーヴィラン(悪役)ジョーカーが誕生するまでを描いた作品だが、近年の「バットマン」関連映画からは独立しており、原作のDCコミックスにもない、オリジナルストーリーで展開される。
コメディアンに憧れるアーサー・フレックは、独自のジョークをノートに書き留めながら、普段は道化師として生計を立てている。安アパートで、介助が必要な母と二人暮らし。自身も精神的な疾患を持つなかで、生活はギリギリのところにあった。
ピエロの姿でサンドウィッチマンとして街角に立った際、不良少年のグループから暴行を受けたアーサーを憐れみ、同僚が拳銃を渡したことから運命の歯車が狂い始めるのだが。
第76回ヴェネツィア国際映画祭、金獅子賞(最優秀作品賞)受賞作品
わたくし的見解/正しい資本主義を求める寓話
評判どおりの陰惨な物語である。しかも、終始徹底しているのだから、観ている方は何ら楽しくない。このような場合は大抵、賛否が割れるのだが意外にも興業収入は伸び続けているし、おしなべて高評価であるのは良くも悪くも興味深い現象だ。
実際に評価すべき点は多く、気持ちが晴れることはない展開の連続であっても一切退屈はしない。ホアキン・フェニックスについては完璧と言って良い。そもそも彼がジョーカーを演じる、その一点だけで劇場鑑賞を決めていたのだが、ほんの少しでも期待が裏切られることはなかった。
彼がアーサー・フレックという良心に満ちた社会的弱者から、凶悪なジョーカーに変貌するまでを観るだけで見事に成立している。作品全体もそれを余すところなく映し出しており、編集が素晴らしいのか、絵コンテの完成度が高いのか、いずれのシーンも一貫して構図が決まっていた点が私には響いた。決まり過ぎてプロモーションビデオのようでもあった。
アーサーは、本人の意図に反して笑い出して止まらなくなる精神的な障害(自身の説明では脳や神経に欠陥があることが原因)を抱えている。その部分の演技だけで秀逸なのだ。周囲に不快感さえ与えるその高笑いは、発作と呼ぶ方がふさわしいこと、その最中アーサー自身の心はまったく笑っていないことが、見事に伝わってくる。
竹中直人氏の「笑いながら怒る人」もチャレンジしてみると案外難しいのに、この症状の設定「笑いながら心はいつも泣いている」は「ガラスの仮面」で月影先生からヒロインに与えられる課題並みに難しい。けれどもホアキンは、まるで本来そうであるかのようにやってのける。もし月影先生に見せたなら、白目をむいて「おそろしい子」と呟くだろう。
ただ、いくらかの否定的な評価に見られるように、内容が弱い点は否めない。ジョーカーは悪党からさえ関わりたくないと明言される、狂犬のような男だ。そんな人物を誕生させるために本作では、これでもかという程の不幸が彼に振りかかるのだが、あまりにもステレオタイプ過ぎる気がして、鑑賞中から心に引っ掛かっていた。
人は理解できないものに対して本能的に、理解できる範囲に当てはめようとする。しかも、かなり強引に。分からない状態は恐怖とほど近いので、分かることに置き換え、一刻も早く不安を消し去りたいからだ。この作品は、そのような私達のいたってノーマルな精神構造に合わせてしまっている。ジョーカーの常軌を逸した行動の数々(本作では描かれていない、その後のジョーカーの姿)に、無理やり理解を示そうとしているようで居心地が悪い。
ジョーカーが悪の権化で、恐怖と混沌をもたらすものと仮定するならば、不幸な生い立ちが彼を狂わせた、などでは納得できない。「こんなに辛い目に遭ったのなら、ああなってしまうのも分かる気がする」なんて、そんなありきたりで良いのだろうか。理解の範疇を超えているから、このキャラクターはヒーローと対をなす存在になったのではないのか。
けれども、ホアキン・フェニックスの演技ばかりに寄っていた映像から、あえて離れて作品全体を俯瞰で捉えてみると少し印象が変わってくる。
舞台である架空の都市ゴッザムシティは明らかに、かつての荒みきっていたニューヨークをモデルにしている。その治安の悪さは世界中に知れ渡っており、本作に見られるような事件のほとんどは、70年代80年代のニューヨークで実際に起きていたことと大差はない。
アーサーは、ゴッサムシティで生まれ育った。もしジョーカーを一人のイカれた犯罪者ではなく街そのもの、そこに蔓延する病いの象徴なのだとすれば、貧困と負の連鎖、富める者の無関心による分断がそれを生み出したという流れは、決して安直なものではなくなる。
この物語はジョーカーの誕生秘話と銘打ちながら、ゴッサムシティの混乱と無秩序が臨界点に達した瞬間を描いている。そして、そうなるとアーサーはますます悲しきピエロだと言える。オープニングで道化師のメイクを施しながら涙を流し、クライマックスに自らの血で笑顔を描く姿が印象的だ。
ところで、ゴッサムシティのような分断は現実においても危険だ。持たざる者にルサンチマンを植え付けてしまうと確実に治安は悪化し、富を持つ者たちの暮らしも脅かされ、結局誰も幸せにならない。
「バットマン」という物語は必ずここ(超絶リッチなブルース・ウェインが、弱者を救うシステムさえ機能していない腐敗しきったゴッサムシティのために立ち上がるところ)から始まるから面白い。幾ら裕福でも絶対的な安全は手に入らない。だから、富は再分配するべきで、それは結局「情けは人の為ならず」へと繋がる。ある意味、そんな寓話なのだ。
本作が富める者ではなく、それを持たざる者からの欝屈した視点で語られた点では「バットマン」の冠を掲げず「ジョーカー」としたことに納得しきりだ。そして確かに、バットマンが闘うべき悪しきもの、ゴッサムシティの暗黒面は、このようにして生まれたと言えるに違いない。