モノクローム、モナムール
女の中にいる他人
映画情報
だいたいこんな話(作品概要)
夕刻の東京、赤坂。青ざめた顔で歩く田代は、ほどなくして近くのビアホールで、長きにわたる友人の杉本に声を掛けられる。互いに仕事帰りであったが、二人は鎌倉の住まいも近く、家族ぐるみの付き合いをするほど親密だった。行きつけの店で飲み直す田代と杉本に一本の電話が。それは杉本の妻が、赤坂で亡くなった知らせだった。
わたくし的見解
個人的には、成瀬巳喜男監督というと、林芙美子原作の女性映画のイメージが強くある。事実、女性映画の名手として知られているけれど、この時代の映画監督の作品数は、現代のそれとは比べものにならないほど多く、実際には実に様々な作品を手がけている。
「女の中にいる他人」も、タイトルの印象とは違い、物語の大半は主人公の「男性」田代が、心理的に追いつめられていく様子が描かれる。
小津作品では、汗などかくこともなさそうなほど神格化された女優、原節子に驚くほど人間臭い芝居をさせるのが成瀬監督。しかし本作では、テレビCMみたいに郊外で暮らす理想的な家族像を描きだす。まるで小津映画ばりにハイソで、所帯じみた様子がおよそ見当たらない主人公ファミリー。市井の人々とは一線を画した、ブルジョワジーの匂いすらする。
私は、成瀬作品では特に「稲妻」がお気に入り。これは(時代設定が多少異なるとは言え)「女の中にいる他人」とは対照的に、所帯じみったれたド庶民の家族を見ることが出来る作品だ。面白いのは、ブルジョワ臭がプンプンの本作も、こってこての生活感漂う「稲妻」も、ふとフランス映画のような趣きを感じさせるところにある。
特に「女の中にいる他人」は、外国文学を原作としているせいもあって、テーマも含め、より一層ヨーロッパ的。映像も強いコントラストを用いたモノクロで、本来その言葉が指すものとは厳密には違うにせよ、フィルムノワールと呼びたくなる作品だ。
内容は、ひらたく言ってしまえば、自責の念にかられる。ただ、それだけの物語なのだ。罪を犯した者が、良心の呵責に耐えられなくなる。日々のささやかな出来事が、罪の意識を持った主人公をどんどん追い詰めていく。
心の機微を丁寧に捉えている、とベタな表現が当てはまるも、果たしてタイトルの「女」はいつ登場するのか。という思いを、ずっと持ちながら鑑賞することになる。何しろ、見せられるのは小林桂樹演じる田代の心の機微なのだ。
「女」と言えば、物語が始まった時にはすでに死んでいる杉本の妻と、テレビCMみたいに出来の良い田代の妻だけである。映画における「女」は、消去法で当然、田代の妻になるが、ずっと田代中心で動いていた物語が、いつのまにか田代の妻に視点が移っている展開は鮮やか。
演出も、これまた超ベタなのに、どうしようもなく洗練されていて、やはり職人監督以上の力量を感じずにはいられない。
「女の中にいる他人」は昨今、BSドラマでリメイクされている。連ドラの、こってりたっぷりも面白いと思うが、オリジナルの、あっさり味なのに重厚な感じも少しお勧めしたい。
極端に趣きが違うが、バカリズム脚本ではっちゃけていた「黒い十人の女」のオリジナル(市川崑監督作品)も、女優の美しさ目当てだけでも価値がある作品。モノクロ作品が苦手でなければ、試して頂きたい。