映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

メタ・ゾンビ

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デッド・ドント・ダイ

 映画情報

 

だいたいこんな話(作品概要)

センターヴィルという田舎町で、農場からニワトリが消えた。農場主のフランクが、何十年も森の中で自活しているボブが盗んだと決めつけて通報してきたため、警察署長のクリフと巡査のロニーは仕方なく事実確認に向かった。世捨て人のボブは警官に向かって発砲してきたものの、署長のクリフは厳重注意にとどめ、ロニー巡査とパトロールに戻った。

警官が3人しかいない、のどかな町で起きた他愛もない事件のようだったが、それを皮切りにおかしな出来事が続いていく。あまりにも日没が遅くなり、ロニーの腕時計は止まり、警察無線は途切れ、携帯電話も使えなくなった。ニュースでは、ペットが次々と行方をくらましている不思議な現象を取り上げ始めた。

そして、翌朝。センターヴィル唯一のダイナーで、女性店員が内臓を食いちぎられた変死体となって見つかる。凄惨な現場を訪れた町の住人や警官は「何か獣による、しかも数匹の所業か……」と口々に感想を述べるなか、ロニー巡査は真面目な表情でゾンビの存在を主張するのだが。

 

わたくし的見解/おとぼけ最強コンビ

ものすごくあっさり「ゾンビだな」「頭を殺れ!(Kill The Head)」と展開していくところが、一番の可笑しみと言える。もちろん、登場人物の全てがその反応をする訳ではない。主人公の一人であるロニー巡査と雑貨店を営むホラーオタクの青年の判断は早く、それに従うことのできた主要人物たちは異常事態にひとまず対処していく。

ところがホラーの定石どおりには進まない。嫌われ者だからと言って真っ先に酷たらしい死に方をすることもないし、状況を把握できている主要なキャラクターであっても容赦なく惨劇に飲み込まれてしまう。おそらくジム・シャームッシュ監督は、ゾンビ映画に心酔して挑む他の監督たちとはノリが異なっているのだろう。

ただしゾンビ映画の原点、ジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を始めとする、その系譜については丁寧に踏襲している。セレーナ・ゴメス扮する、たまたま町に立ち寄った都会の若者の乗る旧車であったり、(近頃のゾンビものではあまり見かけない)墓場からそれが蘇って来る描写や、生前の執着に死後も囚われているくだりなど、他にも細かなディテールや設定を挙げればキリがない。

とにかく、A・ロメロの考えるゾンビ像に間違いなくオマージュを捧げている。と同時に、世の中に浸透しているゾンビものという型の中で、大いに楽しんでいるのが伝わってくる。キャストを見ても、ジム・ジャームッシュ作品にゆかりの人々の同窓会みたいだ。

心酔ではなく箱庭の中でのファン(fun)に思えたのは、本作でも重要なキャラクターを演じているティルダ・スウィントン主演のヴァンパイア映画「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」(ジム・ジャームッシュ監督作)との落差が印象的だったからだ。ゾンビあるいはヴァンパイアという、どちらもモンスターを描きながらも、後者の作品には頭がクラクラしてしまうほどの世界観やこだわりが、画面を埋め尽くしていた。

対して、今回のゾンビ映画はロメロ的社会風刺がありつつも徹底したコメディであり、ファンサービスと言うよりは、むしろ仲間とゾンビごっこを楽しむハロウィンの様相だ。そして、その遊びの数々が鑑賞者にとっても喜ばしいものである以上、そこに文句のつけようがない。

個人的には、ナタを振り回すアダム・ドライバーが、カイロ・レン(「スター・ウォーズ」の中心的人物)を演じている時よりもヒーロー然としていたところが、たまらなく気に入っている。そこにビル・マーレイの、居るだけで笑いを誘う佇まいがあるのだから敵わない。

ちょっと肩の力抜きすぎだろう、とツッコミたくなる出来映えではあるが、こういう時もあるから時折「パターソン」のような傑作がポロっと生まれるのかも知れないと思うと、やっぱり文句はつけられないのだ。