映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

船越のいない崖

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羊の木

映画情報

 

だいたいこんな話(作品概要)

平和だが、さびれた印象の否めない港町・魚深(うおぶか)。市役所の職員、月末(つきすえ)は上司から新しい住民6名を受け入れる業務を任される。市はかねてから、I(アイ)ターン希望者を募っていたため、月末は特に疑問を抱くことなく6人を駅や空港に迎えに行き新しい住まいと仕事先に案内した。

しかし、男女を問わず新しい住民の様子がおかしい。月末が上司に問いただすと彼ら全員が元受刑者であることを明かされる。市は過疎化対策として、仮釈放を推進する国の政策を利用し元受刑者の身元を引き受けることにしたのだ。しかも、その事実は市民に明かされることはなく市役所内でさえ他に知るのは市長のみだと言う。

月末は動揺したが、新しい住民のうち年も近く魚深での暮らしに唯一前向きな姿勢を見せてくれた宮腰という男と、交流を深めていくのだが。山上たつひこ原作、いがらしみきお作画による同名漫画を原作とした実写映画。

 

わたくし的見解/火サスとは一味違う崖クライマックス

良い意味で期待はずれだった。言い換えると予想していた物語とは違ったものの、結果的にそれが面白さの要因になっていた。

吉田大八監督の新作だったので、本来は映画館に足を運ぶつもりでいた。何しろ原作からして大変に興味深い。犯罪歴のある人を再び社会に受け入れるというのは、その必要があるだけに実にヘビィだ。理想と現実がこの上なくせめぎ合う設定である。

私は当初、そのこと(元受刑者を自治体が意図的に受け入れたこと)が住民に知られてしまい、疑心暗鬼によって引き起こされる「田舎町パニックムービー」だと想像していた。ところが、集団パニックではなく主要な登場人物に焦点が当てられた個々の再生の物語だった。

架空の町を舞台としているし観る人によってはあまりにも突拍子のない設定かも知れない。しかし過疎の深刻さは、よそで暮らす人間には想像の及ばない部分も多い。事実、原発や核燃料廃棄物などを受け入れたりして、住民の暮らしを何とか維持している自治体も存在している。

本音を言えば、そんなものは無い方が良い。だが現状、世の中は「それありき」で機能していて完全に無くすことは難しい。そして我が町の人口は減る一方だが少ないながらも住民の生活を支えるには少なくない金が要る。厄介は承知の上で苦肉の策として、それらを引き受ける。この構造は本作と大きく変わらない。

そんな考え方次第では現実味のある設定に、ほんの少しファンタジー要素がおり込まれているのだが、そのバランスが絶妙だった。「羊の木」とは、スキタイの羊とも呼ばれる伝説上の植物。聖書で謳われている羊とは意味合いが少し異なるものの、やはり血肉を貪る狼と対照的な存在であり、本作では元受刑者の象徴だ。

劇中、栗本という女性が海岸で缶の蓋を拾い持ち帰る。その蓋には、枝分かれした木の先に、まるで実のなるように羊がぶら下がっているイラストが描かれている。スキタイの羊である。これは、かつては狼であった(全員人を死なせている)元受刑者たちが罪を償い真っ白な羊として生まれ変われるのか、という作品のテーマが暗示されている。

もう一つ、いかにも漁師町らしい古くからある守り神の伝説と、その祭りが物語を大きく展開させていく。それは結末において鑑賞者の溜飲を下げることにも一役買っている。

羊の木にしろ漁師町で祀られている神にしろ、実像はなくても所詮は人の心の生み出したもの。現実を生きる人々から生まれたものには、やはり少なからず現実世界の厳しさが投影されている。ファンタジー要素の上手い取り込み方だ。

加えて、主人公を含めた元々の住民も新たな住民もキャスティングが良かった。元受刑者のいずれもが見事に違和感をまとって現れるが、中でも松田龍平の登場は圧巻。エキセントリックな他の元受刑者たちとは違い、実は一番「普通の人」らしい様子に何故か末恐ろしさを感じずにはいられない。

松田龍平の、いつもどおりの飄々としているのに圧倒的な存在感もさることながら、対してジャニーズなのに極めてオーラや圧の弱い錦戸亮も、主人公のキャラクターにぴったりだった。

初めは、田舎の公務員にこんなハンサム居るかいな(居るわけないでしょ)と思っていたのだが、加瀬亮あたりが放つ「くたびれた感じ」を彼も持っており邦画によく馴染む。吉田大八監督の前作「美しい星」での亀梨和也は、この人じゃない方が良かったなと思ってしまったのだが、今回のジャニーズ枠は大成功だと感じた。

本作はサスペンス作品(ハラハラさせるもの)として高く評価できる。個人的には冒頭でも触れた理想と現実のジレンマが、やはり興味深いところだった。映画では焦点が当てられていないが、例えば住民たちの知る権利と元受刑者の人権がぶつかると(現実では最もネックになるはず)実に悩ましい。

この作品に限れば、住民に先入観がなかったことで事態はかなり上手くいっているのだが、栗本の拾った缶の蓋には羊が5匹しか描かれていない。町に来た元受刑者の数と合わない。フィクションとは言え、これも現実の厳しさだ。

何度か使ったファンタジーと言う表現に反して、映像には一貫して幻想や空想めいた部分はない。ちょっとしたマジックリアリズム作品と分類してもいいのかも知れない。邦画の地味さが退屈という先入観さえなければ、楽しめるサスペンス作品と言える。