映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

シネフィルの原風景

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

 

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

舞台は1969年のロサンゼルス、ハリウッド。かつて幾つものヒット作品に主演したTV西部劇のスター、リック・ダルトンは映画俳優への転向に失敗し行き詰まっていた。クリフ・ブースは長年リックのスタントを務め、私生活でも運転手と雑用を請け負っている。

古巣のTVドラマでは、すでに若手俳優に主演の座は奪われてしまった。全盛期を過ぎた現実に苛まれ些細なことで泣いてばかりのリックに対し、トレーラーハウスで愛犬と暮らすクリフはいつも穏やかで落ち着いている。そんな二人はビジネスパートナーである以上に無二の親友でもあった。

落ち目とは言えリックがハリウッドの高級住宅地で暮らしていると、隣家に映画監督のロマン・ポランスキーと、その若く美しい妻であり女優のシャロン・テートが越してきた。彼らは、旬を過ぎた中年俳優とは対照的な輝かしい新時代の寵児たちだった。まさにハリウッドの明暗が凝縮されたその場所で、実際に起きた殺人事件を下敷きにして描かれる、タランティーノ渾身の意欲作。

 

わたくし的見解/

1969年は主人公たちの人生だけでなく、世の中の流れ、アメリカの価値観そのものに変化が起きていた。ベトナム戦争が長期化するにつれ、街には「Love & Peace」を声高に叫ぶヒッピーが溢れていった。

映画の中でも、この時代の風景とでも言うようにそんな若者達が登場し、いつの間にか物語の中心に躍り出てくる。それまでのキラキラしていた古き良きアメリカにベトナム戦争のリアルは暗い影を落とし、平和主義=反体制のようなムーブメントが起きたことは自然なのだが、いかなる場合も集団が大きくなるとほころびが生まれてくる。

ヒッピー達は反キリスト教であったり、インド哲学にかぶれたり自然主義を謳ったり様々なコミューン(集団)を作っていて、中には過激な反体制を掲げる者たちもいた。思想は自由なのだから反体制でも別に構わないのだが、「戦争反対」「Love & Peace」と主張する割には暴力的な行為をする輩もいた。

最終的には思想も何もどこかに置いてけぼりで、取り憑かれたように破壊行動に没頭するカルト集団が出てきた。チャールズ・マンソン率いるマンソン・ファミリーだ。

この映画は、彼らが引き起こした「シャロン・テート殺害事件」をモチーフにしている。シャロンは当時妊娠中であったことや、彼女の家の前の住人が本来のターゲットであったことなどから、事件の悲劇性は群を抜いている。これは「あの出来事」だと分かって観るのとそうでないのとでは、作品の印象が全く変わってしまう。

ディカプリオ演じる、かつてのTVスターがプレッシャーに押し潰されそうになりながら七転八倒する姿さえコミカルに写し、160分の長尺の間ハンサムなオッサン二人が、男の友情よろしく楽しそうにダラダラだらだら呑んで過ごす様子を見せ続ける理由がきちんとある。

また、現在最もホットな存在と呼べるマーゴット・ロビーを配し、件のシャロン・テートをただただ無邪気で屈託なくチャーミングな女性として描いているのも同じ理由だ。

世界屈指の映画オタクであるタランティーノにとって、この時代は原風景であり特別なものだと想像する。映画業界も世相同様に転換期にあり、大きな制作会社による作品に陰りが見え活路を見出せずにいた。ニューシネマの到来である。そして、そんな中で起きたこの事件は幼少期のタラちゃんの心に人生初と言えるほどの衝撃を与えただろう。

事件を知らずに作品を観ると、映画のラストは取って付けたようにタランティーノの面目躍如である、悪ノリの過ぎるバイオレンスシーンが訪れる。しかし実は、このために冗長にひたすら何も起きない物語を紡いできたのだ。

出産を控えた美しい上に気取りのない、殺される必要など何一つない女性を襲った連中を返り討ちにするために。カルト集団の輩をメッタメタのギッタギタにやっつけ、さらにカリッカリのクリスプ状になるまで丸焼きにするために。

タランティーノは、いつも作品に大好きなものをギュウギュウに詰め込む。過去の人になったリックも、次世代のスター達が子供の頃に夢中になって見ていた紛れもないヒーローであり憧れだったのだ。タラちゃんには、そんな存在が幾らでもいるに違いない。本作では時代を切り口に宝物を凝縮し、積年の恨みを晴らし敵討ちまで果たした。

私は10代の頃に観た「パルプ・フィクション」の熱狂(劇場で得た興奮とサントラをCDなのに擦り切れるまで聴いていたこと)が、その後の映画人生を大きく変えた。

タラちゃんの69年への想い同様に、私にとっては90年代とタランティーノの登場は特別なものだった。そんなことを考えていたら、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は時間が経つほどに、じんわりとしみじみ沁みてきてしまう作品になった。