映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

産むキカイ礼賛

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かぐや姫の物語

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

竹取物語」を原作とした、言わずと知れたスタジオジブリのアニメーション長編作品。手描き風のアニメーションにこだわり、制作期間は何と8年。日本最古の物語は、そのままでも驚くほどスペクタクルだが、独自の解釈も盛り込まれ新たな「かぐや姫」像が誕生している。高畑監督にとって14年ぶりの作品。

わたくし的見解

しばしば、ハゲ(ている場合もあれば、そうでない場合もありますが)の偉い政治家などが、女性を「産む機械」扱いしたために矢面に立たされます。

そんなハゲの政治家も実は大変な愛妻家で、自らの妻について子供を産んでくれたことに限らず、家族たらしめてくれたあらゆる事、つまり妻の存在そのものに深く感謝している可能性も十分あるのでしょう。

しかしハゲは政治家ですから、家族の存在で自身の人生が有意義で豊かになったことをアピールするよりも、国単位の豊かさについて公では言及しなければならず、国家の将来的な生産力を担う子供を増やしたいために、何しろベリーオーフンうっかり女性に対して失言してしまうのです。

少し本筋をそれますが、あまりにもハゲを連呼してしまった以上、お断りを入れておきたい。私は決して、ハゲを貶めることを目的に上記のような文章をつづったのではありませぬ。

個人的な見解ですが、ハゲそのものが男性的魅力を損なうものだと感じていないからです。しかし余談ついでに申し上げると、ハゲ「隠し」は如何なものか。それは、男性的魅力はおろか、人間的魅力をも損ないかねないと思うのです。

一種の偽装だからでしょうか。女性のブラジャーの中に、ミラクルやウルトラ的なお乳そのものとは別のものが入っている場合がありますが、いくらかの男性はその件について偽装と判断し不信感も抱いていることでしょう。

ミラクルやウルトラ的なブラジャーに比べれば、ハゲ隠し(ここではバーコードのような髪型を指しています。ヅラについては又いつか)は一目瞭然ですが、そこに向けられた不信感はもはや頭髪をすり抜けて人間性にまで到達しかねません。偽装と不信は、セット販売されやすいのですね。

引き続き脱線中。ミラクル乳バンドやバーコードのような髪型くらい、その涙ぐましい努力を汲んで、いじらしいと思って慈しむべきなのかも知れません。それくらいのこと、ヌルい笑顔で許せる懐の深い人間に私もなりたい。

さて、やっと映画のことを。実は「かぐや姫の物語」の劇場鑑賞後に、私は初めて「おもひでぽろぽろ」という1991年公開の高畑勲監督作品を観ました。

おもひでぽろぽろ」は、いわゆるバブル期に都会でOLをしている20代の女性がバケーションで田舎暮らしを体験する中で、自らの半生=おもひでをフラッシュバックさせ、これからの人生私はどうしていこうかなと思いを馳せる物語。

男女の雇用機会は均等に与えられるようになった時代だけど、人生には他にも様々なチャンス(機会)があるのだから、素直に素敵だなと思った男性と結婚する幸せもありまっせ。とゆーのが監督からのメッセージに思えました。

高畑監督のインテリの部類に入る学歴や年齢(世代)のせいか、一部の自立心の旺盛な女性には「おもひでぽろぽろ」や「かぐや姫の物語」は、女性を産む機械扱いしていて失敬だと感じられるそうです。

女性のはしくれの私が得た印象は、どちらの作品も「産む機会」が非常に価値あるものだと表現されていたように思います。だって、閉経後の女性が代理出産できる医療技術のある現代でさえ、未だ男性や性転換手術後の元男性でも子供を産むことは出来ませんものねぇ。

かぐや姫の物語」では、子供のころ読み聞かされた「かぐや姫」の昔話や、古文で習った「竹取物語」で広く知られているように、姫の美しさを伝え聞いた多くの男性が群がり縁談には事欠きません。

ところが、姫は誰とも幸せな結婚はしない。「おもひでぽろぽろ」との大きな違いは、女の子が幸せになるってどういうこと? から大きくスケールアップして、壮大な命の物語として描かれていることです。

命の素晴らしさ、その尊さが、翁が姫を初めて目にした瞬間から実に活き活きと瑞々しく表現されていて、アニメーションの語源である「命を与えて動かすこと」がこれほど実現されていることに、私は感動を通り越して感謝しました。

周知の物語の結末、姫は月に帰ってしまうのですが「月からお迎えがくる」という言葉に、昔の人は、月はあの世で、地球にいる間がこの世と考えていたのかも知れないなと感じました。

あの世(死後の世界)のことは分からないながらも、遠くに、しかし確かに見えている月にあると想像したのだろうと。強い仏教思想が根底に感じられる物語のなかで、ある種異質な存在の姫がこの世、現世至上主義であったことに何故だか救われました。

古い時代の価値観と現代的な思想とが混在していて、実に興味深い原作に着手している点にも感服。あらためて、つくづく不思議な物語です。

産む機械と見るか、機会と見るか、結局は自身の価値観が投影されてしまっているのではと感じています。優れた作品は、観る人の心を映す鏡にもなるのだと思います。あなたには、この作品がどのように映るでしょうか。