映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

美人より不美人に注目する映画

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女王陛下のお気に入り

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

18世紀の初め、フランスと戦争中のイングランド。国内外の情勢が厳しさを増すなか、女王アンは、側近のサラに公私の境なく支えられていた。政治顧問で幼馴染でもあるサラは、女王を意のままに操り、国家の実権をほぼ握っている状態だった。

そんなサラの元に、従姉妹で没落貴族のアビゲイルが職を求めてくる。初めは召使の仕事しか与えられなかったアビゲイルだが、女王のために薬草を集めてきたことでサラから認められ、侍女に昇格する。直接、女王にお目通りがかなうようになったアビゲイルは、貴族に戻る野心を抱くようになっていた。

サラは、夫のモールバラ公爵が総指揮官である戦争を継続させるため、政治的手腕をふるい続ける。その裏でアビゲイルは、講和派のハーリーの後ろ盾も得ながら、少しずつ女王のお気に入りへと登り詰めて行くのだが。

わたくし的見解

実は、「聖なる鹿殺し」のヨルゴス・ランティモス監督の新作というだけで、劇場へ足を運びました。決して、エマ・ストーンのおっぱいが目的ではありません。

今回はコスチュームプレイ。これまでの作品群からみると意外でしたが、それがかえって興味をそそられました。

そのため、一体どの時代のどこの女王様なのか、私は初め分かっていませんでした。しかし、事前情報をきちんと把握していなくても楽しめる、日本の時代劇にもあるような、宮廷ドロドロ家政婦は見た的人間ドラマなのです。

女王のお気に入りの二人(サラとアビゲイル)は美しく、どちらも非常に賢く強い女性です。けれども女王のアンは、サラが言う通りアナグマ似で外見もパッしない。子供じみた我儘を振りかざす無能な権力者のような描かれ方。権力者と、それを利用しようとする者の、力量の逆転や対比が見事です。

その中で、女王アンとサラの関係は興味深いものでした。幼馴染のサラは、アンが権力を手にする前からの付き合いのせいか、女王に対してお世辞めいたことや綺麗事は一切言わず、むしろ厳しい言葉と態度で向き合います。

誰もが自分を持ち上げてくる権力の頂点にいるからこそ、女王はそのような存在を欲していて、サラは巧みにそこにつけ込んでいるとも受け取れます。ただ、この二人の場合は単純な利害関係に留まりません。

特に、サラは常にアンを操っているかに見えて、時折自分の出過ぎた振る舞いを詫びる様子は絶妙です。アメとムチの使い分けの上手さもありますが、それ以上に、二人のお互いへの支配欲や、ある種恋愛の駆け引きを仕掛けているところもある。

これと比べれば、女王とアビゲイルの関係は極めてシンプルで、つきつめると利害関係のみ。女王とサラ、女王とアビゲイル、それぞれの関係性やアプローチの違いも対照的です。

立ち回りが派手な、お気に入りの二人(サラとアビゲイル)と比べると、やや地味な印象のアン女王ですが、実は、この人物がしっかり物語の柱になっています。

女王アンは、知性ではサラに劣っているかに見えます。しかし、腐っても鯛。

精神的に不安定であるところは、おそらく病弱な体質に起因するもので、自分の置かれている立場を、良くも悪くも嫌になるほど把握している点に、この女性の芯の強さをうかがい知ることが出来ます。

時に周囲を困惑させる我儘な言動は、決して逃れることの出来ない女王としての責務や、そのくせ簡単に引きずり下ろされる可能性のある立場の危うさを、すべて理解した上でなされている。そこに、母として17人の子供を失い、愛する夫にも先立たれた哀しみまで、きちんと落とし込まれた人物像が、この作品では見事に確立していました。

アン女王を演じたオリヴィア・コールマンは、多くの映画賞において主演女優賞を総ナメにする勢いですが、納得の演技力。圧巻です。

作品全体としては、時代物でありながらも、衣装に現代的な素材を用いたり、台詞回しに従来の作品ではあまり見られない、Fワードの連呼があったりと、さり気なくポップな作り。ストーリー展開も小気味良く、コメディのような印象を受けます。

ただ本作では、市原悦子さんが狐とタヌキの化かし合いを暴露してくれませんし、名家をしっちゃかめっちゃかにした後、家政婦商会の仲間と談笑する場面もないので、ラストに向かうに従って突如、軽快さは失われます。

女王は、お気に入り達から、いいように利用されているだけの愚かな存在に見せながら、最終的には自らが絶対権力であることを誇示して幕を閉じる。そこには、権力者ゆえの孤独や虚しさが際立ちます。

はじめは少し唐突に感じたラストですが、この部分に最も、ヨルゴス・ランティモス監督らしさが出ていると感じました。ちょっと意地悪と言うか、皮肉が効いていると言うか。

ヨルゴス・ランティモスのクセの強さと、監督としての力量(映画を面白く撮れる)とのバランスが秀逸でした。次回作への期待も高まりましたし、前作と比べると、人にお勧めしやすい映画に仕上がっていたことが、最大の功だと言えるでしょう。