映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

老奉行に蝿たかる

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沈黙 -サイレンス-

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

17世紀、日本は江戸時代初期。宣教師フェレイラ神父が日本で棄教し、さらに日本人になっているとの手紙が、ポルトガルイエズス会に届いた。フェレイラ神父を師と仰ぐ、若き司祭ロドリゴとガルペは、手紙は商人による情報に過ぎないと、真相を確かめるべく日本への渡航を決意する。

辿り着いた長崎では、キリシタンへの厳しい弾圧が行われていた。奉行所に捕らえられたロドリゴとガルぺは、かつてのフェレイラ神父と同様に棄教を強く迫られるが。

わたくし的見解

日本人の書いた物語が、他の言語、文化、宗教をバックボーンに持つ人、いわゆる外国人が映像化したものに対して、とても興味があります。日本のコミックが原作で、ハリウッドリメイクまで果たした韓国映画オールドボーイ」や、ベトナム出身のフランス人監督によって映画化された「ノルウェイの森」など。

まして遠藤周作原作の「沈黙」を、あのマーティン・スコセッシが手がけるとなれば、見逃すわけにはいかない。と興奮したのは、果たして何年前のことだったか。

配給会社は、マーティン・スコセッシが原作を手にしてから「28年」の歳月を、やたらと強調していますが、具体的に企画と制作が動き出してからも結構な年月が経っており、私はてっきり頓挫したものと(実際、一時期頓挫していたようだし)正直諦めていたくらいであったので、もう、実現しただけでも軽めの感動がありました。

そのような感慨は神棚に放りあげても、評価すべき点の多い作品だと断言したい。おそらくアメリカでの興行は(マーティン・スコセッシの作品としては)あまり期待できないだろうから、せめて日本では多くの人が鑑賞し、監督の熱意に報いたい、などと偉そうにも思っております。

実に興味深いテーマの作品ですが、それについては原作によるところが大きいので、先に日本を舞台にした海外映画としての評価を日本人目線でしたい。まず、侍がオカシくない事にマジ感謝。というか、その気になればちゃんとしたサムライ、ゲイシャを描けるなら、普段はよほどバカにされているのかもと疑心暗鬼。

日本語パーツの台詞回しも少しもオカシイところはなく、とても丁寧に調整されていて、変なストレスなく鑑賞できます。目の当たりにする拷問、苦悩、葛藤の連続、映画は終始重苦しい内容なので、不要なストレスが無い事はとても重要なのです。

信仰を棄てることを強要され、肉体的にも精神的にも苦しめられる状況が続くなか、何故、神は沈黙しているのか。若き司祭、ロドリゴの心は砕けそうになります。

神の沈黙の理由について、答えは見つかるのか。ロドリゴは信仰を棄てるのか。かつて原作を読んだ時に惹きつけられたテーマとは別に、今回の作品では新たな着眼点がありました。

イッセー尾形演じる井上様、浅野忠信演じる通辞役などの長崎奉行側と、イエズス会司祭のやり取りは実に興味深いものでした。

キリシタンイエズス会の聖職者は信仰の自由を求め、感情で強く抵抗します。対して奉行側は貴重な労働力であり収入源でもある農民たちの弾圧が目的ではなく、あくまで政治的判断で「キリシタンではない」ことを誓わせようとする。

その様子は、単純に善悪の図式が当てはめられるものではなく、そのあたりが比較的フェアな視点で描かれることで、神の沈黙、神と自らの信仰という最大テーマへ集約されていく流れは、非常によく出来た構成ではないでしょうか。

拷問を受け、あるいは殉教していった人々の命は決して軽んじられるべきではないものの、その後約200年続く天下泰平を思うと政治判断としては正しかったと考えられ、だからこそ複雑な思いで見届ける物語でもあります。

ここでは、あまり触れずに終わってしまいますが、キチジローという人物は裏主役なので、ぜひ大注目して鑑賞されたし。

シンプルにこの人をユダとして見ることは、作り手側からの狙いであることは確かですが、イエスにとってのユダにしろ、ロドリゴにとってのキチジローにしろ、神と向き合うにあたり重要な人物だったことに変わりなく、そしてこのような人間のために宗教というものは存在しているのではないだろうか、と私には思えてなりません。

神、あるいは宗教とは、弱く、しかし、したたかにも生き続ける人々に寄り添うものなのでは、と。