映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

As Himself

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ラッキー

 映画情報

 

だいたいこんな話(作品概要)

御年90歳のナイスガイ、通称ラッキーは朝起きて身支度を整え、軽い運動(自称5つのヨガポーズ)をこなし、馴染みのダイナーで店主と悪態をかわせば、ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーが運ばれてくる。多くの時間をクロスワードパズルに費やし、TVのクイズ番組をチェックして、夜には行きつけのバーで決まってブラッディ・マリアを飲む。

同じ柄のシャツを何枚もクローゼットに揃え、出掛ける時にはテンガロンハットを被り、生活からファッションにいたるまで一貫したスタイルで、ある種規則正しい生活を送っていた。

生涯未婚で家族のいない一人暮らしだが、知り合いや友人たちと適度な距離を保ち、孤独とは無縁の穏やかな日々の中で、ちょっとした出来事から初めて人生の終わりを意識し始める。町の人々は、いつもウィットに富んでいたラッキーが気難しくなっていく様子を、敏感に察知しながら注意深く見守るのだが。 

 

わたくし的見解/そして、受容へ

ラッキー、とは随分なキラキラネームだなと思っていたら、何のことはないニックネーム(愛称、呼び名)で、かれこれ太平洋戦争中に海軍で付けられたものという設定だった。

戦争から生きて帰って来られれば誰でも皆ラッキーだと言えそうだが、その中でも彼は海軍でコック(最も安全なポジション)に任命されたため、仲間からそう呼ばれるようになったらしい。

本作は、主演のハリー・ディーン・スタントンに当て書きしたものであり、ラッキーの語る過去には幾らか俳優自身の経験も盛り込まれているようだ。とくに終盤、ダイナーで退役軍人とラッキーが交わす大戦中のエピソードには、リンクしている部分が多いのかも知れない。

ハリー・ディーン・スタントンの遺作であることも含めて、ある意味ラッキーは彼自身であるかのような、とてもリアルなキャラクターとして存在していることが、映画全体を支えているし、価値そのものだと言っても良い。

90歳のご老体が、これまで死を意識したことがなかったなんて、ちょっと信じられない気もする。ところがラッキーのように健康で、身の回りの世話は自分でこなせていて、毎日出掛けて友人と会話を交わし何不自由ない暮らしが出来ていれば、もしかしたら、そういう事もあるのかも知れないと、眼光鋭いシワシワの顔を見ているうちに受け入れてしまった。

老いの延長上だけでなく、若くても生きることの先に「死」はあるのだけれど、当たり前だと分かっていても実感が持てない点は理解できる。例えば、それらが直結しないように無意識下で意識しているとか。何しろ、そうでもしなければ人間みたいに余計なことを考える動物は、毎日怖くて生きていられない可能性もある。

本作が私にとって大変好ましいのは、自他ともに認める健康爺さんが初めて理由もなく倒れて人生の終末を意識するにあたって、とにかく何も起こらないところだ。

まず、さすがのラッキー本人も倒れたことに驚き病院に行くも、余命宣告はおろか取り立てて何の病名も告知されない。医者からは「銀の弾丸か十字架の杭でも打ち込まない限り、今は死なない」と毒蝮三太夫ばりの愛ある皮肉を吐かれ、今さらタバコをやめる必要もないとまで言われる。

それでも、もともと思慮深いラッキーが「死」について真剣に考えた時、残りの人生でいきなり人助けを始めたり、豪遊したり、最後にひと花咲かせようなどと大それた欲求に囚われないところが良い。

どうしようもない死の恐怖と静かに対峙しながら自分なりの答えを見つけて、再びこれまでと変わらない日々のルーティンに戻る様は、潔く美しい。梵天丸もかくありたい!(伊達政宗ちゃうけど)

映画としては間違いなく地味だし、俳優ありきで出来上がっているため、展開も少し強引な印象は否めない。けれども愛すべき小品であり、この俳優のこの顔が残せるならば、まさに代え難い作品である。