映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

ファム・ファタール

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紙の月

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

バブル崩壊後の1994年。主婦で銀行の契約社員として働く梅澤梨花は、ある時から渉外の仕事を任されるようになる。職場での評価も高く自身もやりがいを感じているが、夫は梨花の仕事を軽んじている様子だった。

有り体の妻として収まってくれればいい、と言わんばかりの夫に漠然とした不満を覚えていた頃、顧客の孫息子と親密になったことで、梨花は横領に手を染めるようになる。原作は、角田光代のベストセラー小説。

わたくし的見解

比較的原作に忠実だったBSドラマとは、ヒロインの見せ方がずいぶん異なるようで、そちらのファンにとっては映画は少し納得のいかない出来かも知れない。

ドラマとの差別化、あるいは単純に連続ドラマと長編映画では描けるボリューム(映像化できる時間の尺)が大きく違うので、その影響とも考えられる。

毎度おなじみの、身も蓋もない形で物語を要約すると、主婦が年下の恋人に貢ぐために勤め先で横領をはたらき、後戻りできなくなる話。なのだけれど、若い恋人に夢中になって身を滅ぼすというよりは、イプセンの「人形の家」的な要素の方が圧倒的に色濃い。

ヒロインの梅澤梨花は、第三者から見れば何不自由ない幸せな奥様だ。彼女の夫は優しく穏やかな性格で、しかも仕事も順調。確実に出世コースにも乗っている。専業主婦に憧れる女性にとっては何とも羨ましい、理想の嫁ぎ先に思えるだろう。

映画の序盤、梅澤梨花が家計からではなく自分の給料でペアウォッチ購入し、夫にプレゼントする場面がある。

高価なものは買えず、少しだけ手頃な値段の腕時計を贈る。夫は「ありがとう」と笑顔を見せるが、瞬時に腕時計の価値を見抜き「休みの日に着けるよ」と感謝を述べる。

別の機会に、梨花が手が出せなかった、誰の目にも高級と分かる腕時計を妻にプレゼントする。面と向かって妻を批判しないし、声を荒げるような真似もしない。一貫して優しい夫なのだが、しかし確実に妻を傷つけていく様が上手いと思った。夫を演じる田辺誠一さんの、いかにも悪気のない優男ぶりが良い。

この場面を観ても、また実際にそのような状況を身近で経験することがあっても、その夫の何が悪いのか? なんて優しい旦那さん! と思う人も少なくないだろう。

しかし、夫の一見優しい言動は、彼女の仕事やその収入、ひいては彼女自身にそれほどの価値がないと見なしている。梨花には、そう思えてならない。

犯罪に手を染めるきっかけは、年下の男性に恋したことなのだが、それはあくまできっかけに過ぎないと感じさせるだけの、複雑なヒロインの鬱屈が見て取れる。

「女性特有の何か」を描かせればピカいちの角田光代による原作なので、もともと骨組みがしっかりしているのだと思う。ただ、映画には映画の梅澤梨花が生きていて、小説・ドラマとは違う面白味がきちんとあるところが素晴らしい。

ヒロインの描き方に限らず、横領の手口の見せ方も業界モノ顔負けのリアリティーと、エンタテインメントとしての小気味良さやスリルもあり上手い。

犯罪を重ねることで、何故かどんどん活き活きしてくるヒロインを愛でる背徳感も楽しい。観ているうちに、いつの間にか犯罪者の肩を持ってしまっている。犯罪映画としては成功だ。

原作者に言わせると、お金を介在してしか恋愛が出来ないヒロインを描いているそうだが、映画の梅澤梨花にとって「お金」は別のモノに成り果てているように思う。お金=犯罪は、彼女を解放するものであり、同時にがんじがらめにするもの。再び彼女から自由を奪うものになっているようだった。

エンドクレジットで「Femme Fatale」というタイトルの歌が流れる。私はいつも、ファム・ファタールとは、アンパンマンドキンちゃんルパン三世の不二子ちゃんのような「悪女」を連想してしまう。

しかし直訳では「運命の女」、エンドロールの曲も邦題は「宿命の女」。そのようなタイトルの曲が流れてきて、物凄くストンと落ちるものがあった。

「紙の月」のヒロインが、果たして誰にとっての宿命の女であったのか定かではないが、彼女には彼女自身を解放するために羽ばたき続けて欲しい。

たとえ、その方法が犯罪であったとしても。ひたすらに堂々巡りで、決して自由なんて手に入らないとしても。その姿の哀しさと美しさが、ファム・ファタールと呼ぶのに、あまりにもふさわしいから。