映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

麗しの三白眼

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ブルージャスミン

映画情報

だいたいこんな話(作品概要)

「『ブルームーン』、夫と出会った時にかかっていた曲よ!」と自らの夫について、とめどなく話し続ける。女性の名前はジャスミン。自分でつけた名前だが芸名ではないし、娼婦でもない。直前までニューヨークでは名うてのセレブで、何不自由ない贅沢な暮らしを満喫していた。

彼女が、のべつ幕なしに語り続ける自慢の夫の莫大な資産は、すべて詐欺で手に入れたものだった。夫はFBIによって逮捕され、獄中で自殺。ジャスミンのセレブ生活は、一気に破綻した。

大学在学中に、夫ハルと出会ったジャスミンは、学校を中退し結婚してしまったので、何ひとつキャリアを持たない。FBIによって彼女名義の財産も一切没収され無一文の状態で、ニューヨークから、疎遠になっていた妹の住むサンフランシスコにやって来たのだが。

わたくし的見解

ほぼほぼ、年一のペースで映画を撮っているウディ・アレンの作品は、だいたいにおいてコメディである。時折、思いついたように辛辣な作品を発表することがあり、それが近年では、この「ブルージャスミン」なのだ。

この作品も、各方面ではコメディと紹介されていて、実際コメディでもある。ただ、多くのウディ・アレンの映画が劇中どのような事が起こっても、大抵の場合は鑑賞後に多かれ少なかれ、ほっこり出来るのに対し、ここで辛辣と称している作品にはまったく救いがない。とんでもなく手厳しい時があるのだ。

唐突だが、ケイト・ブランシェットは紛うかたなき美人だ。こんな美人は他に見たことがない! かどうかは、個々の経験や特に「好み」で違うだろうが、間違いなく誰から見ても美人だと思う。そして、間違いなく「可愛く」はない。

「カワイイ」に圧倒的権力や市民権を与えている日本と違い、マチュア=セクシーであることを大きく評価するアメリカという場所でさえ、ハリウッドで人気を博してきた女優のいくらかは、可愛い。つまり、キュートだったりチャーミングだったりが、人気の理由となっている場合が少なくない。

少し古いけれど、分かりやすいところで言うと、メグ・ライアンとか。「ターミネーター2」では、ムッキムキで懸垂してたサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)でさえ、一作目の「ターミネーター」を改めて観ると典型的なアメリカン・ガールで、たぶん向こうの人にとっては「可愛い」女優だった。

ケイト・ブランシェットの凄さは、「可愛い」という要素の魅力をまったく持たずして、ただただ美しいことだ。男は必要ない、私は国家と結婚する! と宣言するのが似合い過ぎる。ムキムキじゃないのに、片手でショットガンを装填しないのに、サラ・コナー級の威圧感。しかし神々しいほどに、いつでも美人である。

とはいえ、大変に表現力のある素晴らしい女優なので、作品によっては劇中の表情など可愛い時だってある。「エリザベス」なんて今観ると、設定上のエリザベスの年齢や、演じている当時のケイト・ブランシェットの若さもあって、十分に可愛い。しかし、それらもすべてケイト・ブランシェット「にしては」可愛いと言うだけだ。

何が言いたいかと言うと、非常に美しいが可愛いという印象がまずない、そんなケイト・ブランシェットのためにあるような役がジャスミンである。こんなにも、スノッブで中身がなく、思慮に欠け、ただ美しいだけで自分では何ひとつ出来ない上に超ヤバい女を、演じられる人なんて他にいない。

もう少し丁寧に言えば、こんな女性を見事に演じながらも、嫌悪感を与えたり同情を得るのではなく、ただフラットに哀しく見せることが出来る人はいない。

この役で重要なのは、見た目だけ魅力的で馬鹿な女では駄目だと言うこと。セックス・シンボルのイメージを求められた、マリリン・モンローのようなタイプではなく、上品であるような、知的であるような、一見すると複雑な「であるような」女性像でなければいけない。

しつこく申し上げてきたように、可愛くはなく、美しさと圧倒的演技力で今まで君臨し続けてきた、ケイト・ブランシェットの真骨頂を観ることができる作品だ。

ウディ・アレンの映画の主人公にはしばしば、多かれ少なかれアレン自身が投影されていて、今回も例外ではない。顔を出さなくてもウディ・アレンの存在感をひしひしと感じるのが、ある意味楽しみでもあるのだが、さすがはケイト・ブランシェットウディ・アレン臭は微かで、キャラクターの要素として感じられるレベルだ。

ケイトと見えないウディの存在感が、実に拮抗している。最終的にウディが、ケイトに敬意を表して、いつもの彼の映画というよりは、ケイト・ブランシェットの映画に仕立て上げた。そんな、大いに見どころのある作品である。