映画ザビエル

時間を費やす価値のある映画をご紹介します。

ワンシーン、ワンカットの功罪

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1917 命をかけた伝令

 映画情報

 

だいたいこんな話(作品概要)

第一次大戦の真っ只中にある、1917年4月。若きイギリス人兵士トム・ブレイクは上官から呼び出され、ある任務を遂行するために仲間を一人選ぶように告げられる。まだ命令の内容を知らないトムは、気心の知れたウィリアム・スコフィールドを指名し将軍の元へ赴いた。

与えられた任務は、西部戦線において撤退するドイツ軍を追撃し、勝利を収めようとしているデヴォンジャー連隊に、それがドイツの戦略的撤退でかつ罠だと知らせ、攻撃中止の伝令を届けることだった。この知らせが伝わらなければ、1600名の兵士の命が無駄になり、その中にはトムの兄、ジョセフ・ブレイク中尉も含まれている。

イムリミットはデヴォンジャー連隊の攻撃が開始される翌朝まで。移動距離を踏まえても時間に余裕があると考え、暗くなってからの行動を提案するスコフィールドに対して、兄の命が懸かっていることで気がはやるトムは耳を貸さずに塹壕を走り抜けていく。スコフィールドは何故こんな過酷な任務に自分を選んだのかとトムをなじりながらも、危険な区域では「年長者である自分が先に」と行動しながら、共に決死の覚悟で伝令を届けようとするのだが。

 

わたくし的見解/

「ワンシーン、ワンカット」の謳い文句に、つい近年のヒット作「カメラを止めるな!」(以下「カメ止め」)を思い起こしてしまい、余計な期待を膨らませてしまった。「カメ止め」では冒頭の37分、チープなゾンビ映画の部分がワンカット撮影で話題を呼んだ。何しろ長回しは、有名無名を問わず映画監督の夢なのである。

庶民派映像つまり低予算の中で奮闘した「カメ止め」と比べれば、本作はあらゆる分野にお金を投じることが可能だったはずで、実際に物凄い映像が撮られていた。ただただ、私が勝手に2時間丸々「ワンカット」だと思い込んでいたのがいけなかった。そんな訳ないじゃんねー。馬っ鹿じゃないの私。

ワンシーンごとにワンカットで撮り、それらを「全編とおしてワンカットに見える映像」に繋げて作り上げた、ということらしい。それは本編を観れば暗転などもあるため、すぐに分かった。

そこで改めて納得した上で思い返しても「ワンシーン、ワンカット」の効果は十分で臨場感や緊迫感が見事に演出されていた。そのため、フィクションである点がそれ程弱みとはならず(戦争映画でフィクションとなると訴求力が落ちて当然だが)、本作のような名も無き若い兵士達の、知られざる物語が幾らでもあったに違いないと感じられるリアリティーが生まれていた。

印象的だったのは、主人公が伝令を届ける途中で偶然出会い、手助けしてくれた他の部隊の上官による「マッケンジー大佐(伝令を届ける相手)の場合は、第三者が必要だ」「ときに軍人とは歯止めが効かないものと覚えておけ」という言葉だった。これはつまり、伝令を無事に届けても大佐の判断で握りつぶされ、攻撃が中止されない可能性を示唆している。

この序盤の前振りのお陰で「まぁ届けることは出来るんでしょ。だって、そうじゃないと物語が成立しないし」など、人生経験によって育まれた映画を心底楽しむにあたって大変邪魔になる、ヘソ曲がりの安心感を抑えることが出来た。伝令を届けても、まだ終わりではないのである。

終盤で、マッケンジー大佐がこれまで攻撃命令とその中止命令を、何度も何度も繰り返し受け取ってきたことが明かされる部分も、大変短いシーンだが重みがある。このようなエピソードは、おそらく第一次大戦で実際に伝令係をしていた監督の祖父によるもので、たとえ架空の人物の言動に置き換えられたとしても、戦争映画に求められるリアリティーを支えていた。

個人的には、サム・メンデス監督の映画というだけで劇場に足を運ぶことは必至だったため、最大の売りである「ワンシーン、ワンカット」については鑑賞後に知って、キャー凄い、何でそんなことしたのっ、変態! と嬉しい悲鳴を上げたかった。時は戻せないので、その分「カメ止め」の醍醐味である後半部分と同様の、ワンカットの裏側(本作ではメイキング映像)をたっぷり味わって帳尻合わせをしようと思う。

さておき、私が勝手に「ワンカット」について勘違いしていただけで、見応えは充分、メイキングまで含めるとむしろ二度おいしい、文句なしのお勧め作品なのだ。